こんばんは、BJだ
色々あって
名前がソフトフォークした
(ハードフォークほど切れてない)
まぁちょっとだけ変わったってことだ
皆仮想通貨皆やってるか!
私は今日一回も相場を見ていない
まぁガチホってやつだ
私の高級LSKは
そうそう売り時が来ないだろう
いきなり
仮想通貨アカみたい
なことを言ってしまったので
皆困惑しただろうな
私も今日ちょっと
色々ありすぎて
混乱していたんだ
中の人が漏れてしまってすまない
まぁ中の人も人だからな
辛いことがあれば色々思い出す
何回も聞かれているが
専門科は
一生明言しない
身バレしたら死ぬ
しかないからな
それっぽいことを書いていても
実際の経験かどうかも
不明だと思ってくれ
ここからするのは同じように
本当に私が経験したか不明な話だ
がんって
ある日宣告されたら
どう思うだろうか
私は学生実習の時に
宣告の場に立ち会ったのが
初の経験だった
偉い先生がCTを見せながら
「ここ、これあるでしょう」
「がんです」
とさらっと言っていた
もともとその人は健康診断で
要検査で受診に来ていた
「あ、がんなんですか…」
と言った後、先生に
「何か質問は?」
と言われて「何も」と答えた
先生が治療の流れを
書いた紙を取りに離席し
診察室の隅っこで
いたたまれない感じで
座っていた私に
患者さんが話しかけてきた
「がんだって」
「…はい」
「死刑宣告だな」
「…」
声が震える患者さんを前に
何を答えたらよかったんだろう
でも実際のところ正解は無い
「そうですね!!!」
と言う訳にも行かない
「きっと大丈夫です」
なんてもっと言えない
その人が生きている
間に答えを
見つけられるかどうか
そのレベルで難しい問題だと今でも思う
結局のところがんは皆死ぬ
高濃度ビタミンC点滴してても死ぬ
だから患者さんの言った
「死刑宣告」は
ある意味正しい
でもこの世の中で
来週の土曜日を約束されている人は
どれくらいいるんだろうか
買ったコインがスキャムで全財産無くしたり
普通に外出したら通り魔にあったり
仕事先で突然労災に巻き込まれたり
人は突然死ぬ
交通事故もそうだ
私がいまだに強烈に覚えていて
余りにも強烈すぎて
時々あれは夢だったんじゃ
無いかと思う死亡宣告があった
花見の帰りに泥酔して轢かれたり
花見の帰りに泥酔した車に轢かれたり
高速道路で
一般道で
帰宅ラッシュで
通勤ラッシュで
帰省ラッシュで
人はいきなり死ぬ
ある日の搬送患者は
帰宅途中歩いていたら
思い切り跳ね飛ばされた
衝突時の時速が50km/h以上
だったのでかなりの
高エネルギー外傷だ
処置室ではトリアージが
赤から黒に
変わりつつあった
出来ることはしたから、
といつもこういう時に
自分に言い訳をする
他の先生は知らないがね
何だかもしかして
自分が関わらなかったら
助かった未来が
あったんじゃ無いかと
考えてしまう時があるんだ
家族が到着して、
軍曹(他の記事参照)が説明する
もう助からない
最善は尽くした
搬送されてきた時から…
来た家族さんは奥さんだった
大概の人はここで
我々を滅茶苦茶に罵る
私が思っているように
相手も
「こいつらじゃなきゃ
助けられたんじゃ
無いのか」
って怒り狂うのは
当たり前だと思う
でも奥さんは何も言わず
話を聞いてお辞儀をされた
了解を取れたので
モニターを外して
死亡確認をする
奥さんはじっと
その様子を見つめていた
奥さんを別室に誘導して
エンゼルケアをする
(死後処置のエンゼルケアに
ついては別記事を書きたい)
普通は医者はやらんと
いつも看護師に言われながら
自分への言い訳のために
私はいつもこの処置を手伝う
記憶が曖昧なのはこの辺で
私は奥さんと別室で
二人きりになっていた
荷物や服を返すためだったのか
記憶が本当に曖昧だ
ただ奥さんが言ったことだけを覚えている
「朝喧嘩したんです」
「凄く下らないこと
で喧嘩したの」
「でも帰って来たら
仲直りしたくて」
「あの人の好きなもの
作ったんです」
「帰ってくると
思ってたから」
罵って欲しかった
あんたのせいで
死んだんだって
言われたかった
でもそれは私のエゴで
罵られて楽に
なりたいだけなんだ
気づいたらいつもの処置室で
戦場みたいな日々に戻っている
でもあの日から私は
明日この処置台に
乗っているのは
自分かもしれない
と思って生きている
6月になると思い出す話だ
嘘だったらいいな
嘘だと思うよ
今回はオチは特にない
ただここまでめげないで
読んでくれた人が
明日から
自分の大切な人と
下らない喧嘩をして
後悔しない毎日を
送って欲しい
とだけ思う
それだけの妄言ブログだ
読んでくれてありがとう